大判例

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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)7641号 判決

北陸銀行

常陽銀行

事実

原告株式会社北陸銀行は、昭和二十八年六月二日訴外滝川鉄工株式会社といわゆる銀行取引契約を締結し、その際訴外湯田幸八は、右訴外会社の連帯保証人となつた。而して原告は右取引契約に基き手形割引、手形貸付等により右訴外会社に貸付元金合計八百七十四万七千円を有するところ、右訴外会社はもとよりその連帯保証人たる前記訴外湯田幸八も、原告の再三再四の請求にも拘らずその支払をしない。然るに右訴外湯田幸八は昭和三十一年九月十日原告等一般債権者を害することを熟知しながら、同人の唯一の資産たる本件不動産を同人の使用主たる被告会社に売却し、被告会社は右不動産につき右売買を原因として被告会社のため同年九月十一日所有権の取得登記をなした。

右の次第であるから原告は訴外湯田幸八が本件不動産につき被告との間になした売買契約の取消を求め、且つ被告のなした前記所有権取得登記の抹消登記手続を求めると述べた。

被告諸橋合名会社はこれに対し、被告会社は諸橋一族を以つて組織した合名会社であるところ、昭和三十年頃から被告会社東京出張所に勤務していた事務員湯田幸八は、恣に東京出張所代表諸橋政良の記名印及び印顆を使用して被告会社東京出張所長名の約束手形十数通を振り出し、それらは原告銀行に対してもその額金四百万円に及んでいる。而して被告会社はかかる手形の振出を全然知らなかつたのであるが、昭和三十年九月に至つて被告の取引銀行常陽銀行に内一通について取立のため呈示があり、調査の結果前記事実が判明したのである。原告がかかる手形を所持するに至つたのは、原告銀行と取引関係のあつた訴外滝川鉄工株式会社に対する融通手形として原告に差入れたものであり、且つ原告は湯田幸八が被告会社を代理する権限のないことを知つていたのである。

而して湯田幸八には家族が居り、昭和二十年頃から東京出張所に勤務していた実直な社員であつたので、被告会社の社員が東京に出張したときの宿舎並びに当時一族の諸橋政良が東京の大学に在学していたのでその住居の目的で本件建物を購入し、湯田を該建物に居住させて賄をさせていたのである。従つて建物の使用関係も政良の部屋、社員の宿泊部屋は別として、その余を湯田に使用させていたのであり、ただその所有名義を湯田幸八として置いただけで相互に使用料の請求、支払をしたことはない。然るに湯田は前記のような不正行為があつたので、本件建物が実質上被告会社の所有であることに鑑み、その所有名義を被告会社名義に変更した次第である。

すなわち被告会社としては、湯田との間でその所有名義を仮装して湯田として登記して置いた本件建物を、その実質上の所有者である被告名義に登記しただけのことであるから、何ら原告を害するものではなく、原告の主張の失当であることは明らかであると述べた。

理由

証拠によれば、本件不動産の登記簿上の所有名義は昭和二六年一〇月一六日以降昭和三一年九月一〇日まで訴外湯田幸八に属していたことが認められ、同月一一日原告株式会社北陸銀行主張のとおり右登記簿上の所有名義が被告諸橋合名会社に移転したことは当事者間に争がない。

そこで訴外湯田幸八の右所有名義当時、本件不動産が真実同訴外人の所有に属していたものであるのか、それとも被告主張のように右登記簿上の所有名義は仮のものであつて、真の所有者は被告であつたのかを検討するのに、当裁判所は次の理由により右湯田の登記簿上の所有名義は単なる仮のものではなく、真実に符合するものであつたと認定する。すなわち、登記簿上に所有名義者となつている者は、明確な反証のない限り真の所有者として推測されるの外ないのであるが、本件の場合右所有名義が実体に沿わないものであることを思わせるような資料がないではないが、これを反証として採用するには未ば十分ではなく、従つて右推測を動かし難い状況である。

証拠によれば、被告会社は昭和二六年一〇月中本件家屋を買い受け、当時既に被告会社東京出張所の駐在員であり、また被告会社代表者諸橋久太郎の次男(昭和二七年頃から同出張所長となつた)諸橋政良の通学中の宿所及び賄を引き受けていた訴外湯田幸八の所有名義に取得登記を済ませたこと、その後訴外湯田は右家屋につき使用料を支払うこともなく、諸橋政良や東京へ出張して来る被告会社々員から幾分の賄料は受けていたが、それで賄の実費を償い得るほどのものではなく、別に給料として被告会社から他の従業員よりは幾分多く支給されていた程度であつたこと、昭和二六年頃それまでの東京出張所長横山八郎が職を去つて昭和二七年中に諸橋政良が大学を卒業して出張所長に就任するまで同出張所長はおらず、自然訴外湯田が同出張所の事務については事実上相当広範囲の権限を行使していたこと、前記横山八郎は被告会社には数十年勤務していたが、その後病気で退職した際には被告会社から住宅を贈与され、訴外湯田もそのように永く被告会社に勤務した後は、本件不動産をその所有名義のまま自己所有に帰するものと信じ、被告会社でもそのような考でいたこと等を認めることができる。以上の諸事実のみから想像すると、本件家屋も被告の費用で買い入れ、被告の社宅同様の使用状態に置いたもののようではあるが、他面訴外湯田が同不動産の利用管理及びそれに伴う雑事務に関して受ける利益及び負担の計算については甚だ明確を欠くものがあり、訴外湯田及び被告の本件不動産所有権帰属に関する前記のような考え方や、被告会社の同族会社的性格を考えると、本件家屋の登記名義を訴外湯田の所有としておいたことには全く意味がないものと断定し得ず、いわゆるなしくずし的に被告から右訴外人に同不動産を贈与するような関係があつたのではないかとの疑念を否定することができない。更に本件不動産の購入、保有及び記帳についての被告会社内部の取扱も明確を欠くものがあることより考察すれば、登記上訴外湯田の所有名義としたのは単なる登記手続上便宜のみに出たものではなく、寧ろ他に何らかの実質的な意味と目的があつたものであろうと推測しないわけには行かないのである。

ところで証拠を綜合すれば、訴外湯田は被告会社東京出張所名義で多額の約束手形を振り出し、訴外滝川鉄工株式会社の多額の債務について保証をしたので昭和三一年九月一〇日被告会社を解雇され、次いで翌日本件不動産について湯田より被告会社へ所有権移転の登記手続をしたのであるが、それより以前、湯田が右手形振出及び債務保証の事実を被告会社に報告した際右湯田個人としても原告に対し多額の債務を負担していることを自らも認め、被告会社東京出張所長諸橋政良にも告白していること、また訴外湯田はかねてから本件不動産を所有しているので、その個人債務の弁済には同不動産を処分しても責任を持つこと等を原告銀行の担当員に言明していたことが認められるので、そのような状況の下にありながら右不動産の所有名義を被告に移転したについては、訴外湯田も被告も、その移転によつて原告の前記湯田に対する債権が害されるに至ることを知つていたものと認めることができる。

以上の次第であるから、原告の、本件不動産の譲渡契約の取消請求及び所有権取得登記の抹消登記手続を求める請求は正当であるとしてこれを認容した。

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